下村憲司
次の章 ホとへのダイアローグ
岩陰で微睡んでしまった。夢のなかで電話のベルがなり続けていた。Wakeupと囁く声がする。ああ、この声は懐かしいあの声だ。大丈夫、もう起きるよ。だからベルはもう鳴らさないで・・・
光が影を追って流れていく、いや影は光で創りだされるのだから、光を追って影が流れていき、影は消える。この歩み、行く先々での行托で知った生存の知恵と村人達の優しさに救われていなければ、とうに行き倒れになっていたかもしれない。地震で倒壊した寺院がこの先にあると村の長に聞いて、心を動かされて、そこを目指している。視野に寺院の塔とおぼしきものが視えた。とりあえず今日の野宿の当てはかなった。塔は砂に埋もれて、梵鐘は見当たらない。何故だか鐘の音をこの砂漠で聴きたいと強く想った。砂上に現れている遺跡はわずかであったが、仏像の手だと思われるとても大きな手が空を指していた。よく視ると、其の手の中央に窪みがあり、その奥には虚ろな空間が闇の中で佇んでいた。恐れること無くそこまで歩き中に向かって「誰かいませんか?」と少し大きな声で叫んだ。すると、奥の方から衣擦れの音がして、燭台を掲げて、質素な黒の修道僧のような出で立ちでへが和やかな顔をみせて登場した。勿論足袋靴を踵を踏まずに奇麗に履いていた。
「呼ばれたのは、お主かな?」「はい、私です。初めまして、私は・・・」「名前などはいらぬ。儂も語らぬ。お主と儂、でよかろう・・・ほっほっほっ・・・」変に艶かしく嗤った声は、まぎれもなく老いた声だが、瞳はイノセンスな少女のように黒く澄んで、その奥には青い光を発していた。「まあ、奥へ入りなされ、お茶などを進ぜよう。」導かれるままに、への後をついて行った。この寺院の高貴な身分の人であるかもと感じながら。部屋は数人が何とか入れそうな狭い空間ではあるが、天井は高く広い半球形であった。中央に丸い樫の木のテーブルと椅子が二脚あった。奥にも幾つかスペースがあるように見受けられた。「まあ、座って、落ち着かれよ。」「はい、ありがとうございます。」へはお茶の支度をしながら、背中越しに声を出して、質問を幾つかした。「何故、此処に辿り着いた」「何故でしょうね。わかりません?強いて言うなら縁ですかね。」「『FeetComplexVirus』を存じておるか?」「『FCV』ですね。ええ此処に来る迄に沢山の人々を視ました。確か1970年代のロシアの生物学及び宇宙量子力学の研究者M・A・フィリッポヴァナが、太陽黒点の増加にともなう太陽フレアーが人類に多大な影響を及ぼし、高い確率で細胞の突然変異を促すという、比喩的な黙示録のような論文の仮説の一つですね。」「まったく相手にされなかった論文が、数十年を経て現実化するとはのう・・・」「ウィルスではなくシンドローム・・・つまり軀に顕われる人間と心に顕われる人間とに分かれるというY派の論もありますが、どのようにお考えですか?」「軀はすぐに慣れるが、心はのう・・・・・罪を犯す。」「すまぬ、少し待っていてくれ。」
へはそう言うと立ち上がり、奥の祭壇らしき処で聞き耳を立て始めた。無線ラジオらしきものから通信を傍受しているかのようにも見受けられたが、深く頷いたりして聴き入って、ほどなくお茶を持って戻って来た。「何を聴かれていたんですか?」「う~ん、『鴉よ、俺達は魂をこめる』というアンダーグラウンド放送じゃあ・・・・・」「何の組織なんです?」「まあ、そう急がずとも時間はある。お茶を飲みなさい。」「はい、頂きます。素敵な香りが漂っていますね。玄米と黒豆と緑茶をブレンドしたものですか?」「ほう、お茶がわかるか、それは嬉しいのう。」互いにお茶を楽しみながら、先程の話を続けた。「簡単に言えばこの組織は、この世界を憂う人間達で新しい國を創ろうというのだ、人を傷つけずに利他を生かす、 正しい心で為せばウィルスを超えて新世界をという理念だが・・・。どんな組織も理念の純粋化に熱を上げる輩が出て来る。その跳ね返りに窮しているのじゃ。」 「先程の放送は、次回集会の案内と新しい國歌の歌詞の募集だった。」
「終末論も囁かれるこの世界の混乱をどう視ているのですか?」「あるがままを視、唯唯人間が為す愚かさを憂いてはおるが・・・この世のことは善悪だけでは計れぬ。必然と偶然が実によくブレンドされて起こるによっての・・・。」「なるほど。」「処でどうかな、お願いが一つあるのじゃが、聞いてはくれぬか?」「何ですか?私で出来ることなら・・・。」 「ひとつ冒険をしてみんか。」「冒険?そんな柄じゃないですね。ただ好奇心は結構強いです。」「いや、それでいいのだ。それが、必要なのだ。実は次の集会に儂の遠い妹トが出席する。目的は旅慣れた屈強な助っ人を捜しておる。力を貸して貰えないか?詳しいことは明日の朝ということで、今日はもう休みたい。それで、恐縮だが・・・儂を中二階の寝室に運んでくれんか、上りの階段がきつくての・・・。」「わかりました、じゃ失礼して。」への軀は羽毛のように軽かった。そして私の目を視て[Schonglila]に行くのがお主の使命。」と告げて瞑目した。その言葉によって次から次へと言葉が浮かぶが明確な像は結べなかった。私は呪文のように其の言葉を繰り返し、への寝室へと向かった。
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