川瀬 亜衣

その後も、ずっと電車からは降りられていない。
上り下り、今はどちらに走っているのかを考えるのもやめていた。
あぁあ、もうすっかり夜で、六郷土手は人だかりで蠢いている。
蛍光灯で眩しい車窓の遠くで音もなく花火が上がった。あぁあ。
念願の自宅花火は翌年に持ち越しが決まったなぁ。

すぐ足元からパチパチと音が聞こえた。
気泡が弾ける茶黒い色の液体が、枝分かれしながら床を這っていく。
慌てて両足を浮かせた。
前方座席からだらりとはみ出た、スーツ男の手にはコーラのボトル。
私を含め、この電車には寝ぼけた乗客しかいないらしい。
甘い匂いに混じって藤の香りが鼻をかすめた。
すると、ゴーーー。
真っ暗になった。
トンネルに入ったのだろうか?
車内灯が誤って消されてしまったんだろうか?
「母の恋人だった父」の、空洞の顔の中に落ちてしまったのかもしれない。
パチパチパチパチ… まだ聞こえる音だけが、微睡む私と車内を結びつけていた。

やがて、ひらひらひらと、薄紫色の便箋にかよわく引っかかっていた母の文字が、私の頭上から降ってきた。

私は真上(上も下もあるのかないのかも今は不確かだけど)を見上げようと、重い頭部を旋回させた。


『ミち』

mimaculの公開ワーク「連歌のように」一本の小説(なのだろうか)をメンバー全員で書く試み。タイトルは『ミち』 【ルール】 ・決めた順番で回していく。嵯峨→山羊→河合→立蔵→堀井→林→川瀬→下村→京野→高橋→たまな→小高→元岡→古川 ・人物が登場する場合、名前は登場順にイ、ロ、ハと付ける。 ・1回の更新が短くても構わない。 ・前の人が書いたものを引き継ぎつつ、文体や口調が変わってもよい。