立蔵葉子
遺書は郵送されてきた。
白い、とてもとても普通な縦長の封筒だった。年賀状みたいに明朝体で、引っ越す前の住所と私の名前が印字されていた。差出人は知らない男性の名前だった。住所は隣の市、だけど私には縁のない場所。母がそこに行ったとか知り合いがいるとかいう話も聞いた覚えがない。誰だこの人。
びりびりと開けると、一筆箋と、数枚まとめて三つ折りにされた薄紫色の紙が入っていた。封筒から取り出して、その三つ折りの束を手に取ったとき、一瞬呼吸を忘れた。え。
基本余暇の時間のない母の唯一の趣味が、紙だった。印刷所で余った紙や頂き物の包装紙なんかをまじまじと見つめ、色合いや厚みや手触りを比べる。何も言わない。ただ見つめ、さわり、確かめおえると焼き海苔の平たい缶にしまう。印刷業という家業との境目が極めて曖昧なその行為が、母の唯一の趣味だった。
ある夜、すべての仕事を終えて眠る前の僅かな時間で紙を触っていた母が、めずらしく言葉を発した。
「わたし、この紙好きなのよ」
薄紫の、透けそうなほど薄く、細い線のはいったその紙をのせた母の手が、他の紙を持つときより色っぽい気がして、こどもだった私は静かにどきっとしたのだった。「わたし」と言ったのにもどきっとした、いつもは「お母さん」なのに。
そして今またどきっとしている。手にのっている紙はまちがいなく母が好きと言った紙だった。そんなありふれた紙ではない、少なくともこのつまらない封筒とつりあうくらいには。望遠鏡のようにふくらませて内側とのぞくと、見覚えのある文字が並んでいた。どきどきが増してゆく。
逃げるように、でも罠にかかるように、一筆箋を見る。宛名は印刷されていたけどこちらは手書きだった。油性ボールペンで書かれた、所々インクが溜まっている文字。初めて見る文字。その文字たちはこう名乗っていた。
お母様の恋人であったものです。
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